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文化を作る和菓子屋を目指そう!

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平成7年(1995年)、修行を終えて故郷に帰ってきた。

そして夏。

一番夏らしい和菓子を故郷でも作りたいと思った。
青竹流しの水羊羹だ。
sasa
当時(私の知る限り)、群馬県では1軒も作っているお店はなかった。
「ウチのような町はずれの店で作ったところで売れるのか?」
不安がよぎった。
P1010116

青竹の青さははかない。
3日もすれば黄色くくすんでくる。
だからこそ青竹は鮮度の象徴でもある。

毎日しっかり売り切らなければ、作ってもロスになってしまう。
美味しく作る自信はある。
問題は「売れる」かだ。

また青竹の1回の仕入れは400本。
400本を売り切ることができるのか。
菓子倶楽部 水羊羹
高崎でもっとも尊敬している菓匠のIさん、その弟子のOさんに相談した。
(写真は「高崎菓子倶楽部」という勉強会での1枚。1999年5月)

「一緒に青竹水羊羹作りませんか」

そして400本の青竹を買って3人で分けた。
Iさん200本、私とOさんで100本づつ。
すべてはここから始まったんだ。
ささのしづく2
15年前、1シーズンで100本売るのが精一杯だった。
今では1ヶ月で1,000本以上買って頂けている。
盛夏の定番商品に育った。

群馬で、高崎で、青竹の水羊羹が当たり前に買えるようになった。
私たちは一つの文化を作った、と少しだけ誇りに思う。

どうせなら文化を作るような和菓子屋を目指したい。

この記事は2010年7月に書いたものです。
青竹水羊羹「ささのしずく」の販売開始にあたり、原点を見つめ直す思いを込めて、再掲させていただきます。

今年も青竹流し本水羊羹「ささのしずく」の販売が始まりました!

文化を作る和菓子屋を目指そう!

カテゴリ:
この記事は2010年7月に書いたものです。
Blog引越の際に写真が消え、魅力が半減していました。
写真を追加し7年ぶりに再掲いたします。


平成7年(1995年)、修行を終えて故郷に帰ってきた。

そして夏。

一番夏らしい和菓子を故郷でも作りたいと思った。
青竹流しの水羊羹だ。
sasa
当時(私の知る限り)、群馬県では1軒も作っているお店はなかった。
「ウチのような町はずれの店で作ったところで売れるのか?」
不安がよぎった。
P1010116
青竹の青さははかない。
3日もすれば黄色くくすんでくる。
だからこそ青竹は鮮度の象徴でもある。

毎日しっかり売り切らなければ、作ってもロスになってしまう。
美味しく作る自信はある。
問題は「売れる」かだ。

また青竹の1回の仕入れは400本。
400本を売り切ることができるのか。
菓子倶楽部 水羊羹
高崎でもっとも尊敬している菓匠のIさん、その弟子で友人のOさんに相談した。
(写真は「高崎菓子倶楽部」という勉強会での1枚。1999年5月。みんな若い(笑))

「一緒に青竹水羊羹作りませんか」

そして400本の青竹を買って3人で分けた。
Iさん200本、私とOさんで100本づつ。
すべてはここから始まったんだ。
ささのしづく2
15年前、1シーズンで100本売るのが精一杯だった。
今では1ヶ月で1,000本以上買って頂けている。
盛夏の定番商品に育った。

群馬で、高崎で、青竹の水羊羹が当たり前に買えるようになった。
私たちは一つの文化を作った、と少しだけ誇りに思う。

どうせなら文化を作るような和菓子屋を目指したい。

ささのしずく

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ささのしづく4
【温故知新】

 虎屋黒川の資料によると、初めて水羊羹が作られたのは江戸時代の中頃で、そもそもは葛製の蒸羊羹でした。寒天製の水羊羹が作り始められるのは、なんと大正になってから。葛製水羊羹の誕生から200年も後のことです。
 現在のようなほのかな甘みの寒天製水羊羹が主流になったのは冷蔵庫の普及した戦後になってから。今でこそ水羊羹は夏の代表的な和菓子ですが、その歴史は意外と短いのです。


【菓匠より】
 今や水羊羹の竹筒に似せたプラスチック製容器が全盛ですが、風情がまったくありません。手数はかかりますが、朝露にぬれた艶やかな青竹に一本一本流し込んだ水羊羹は、まさに日本の夏そのものです。
 家伝の製法で昔そのままに仕立てたこの竹流し本水羊羹は、ふくよかな香り、ほのかな甘み、なめらかな口どけと大人気です。きりりと冷やして夏の詩情をご堪能ください。


流したての水羊羹の美味しさを味わっていただくため、毎日数量限定でお作りしています。
ご予約をお勧めいたします。

お中元好適品

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