文化を作る和菓子屋を目指そう!
この記事は2010年7月に書いたものです。
Blog引越の際に写真が消え、魅力が半減していました。
写真を追加し7年ぶりに再掲いたします。
平成7年(1995年)、修行を終えて故郷に帰ってきた。
そして夏。
一番夏らしい和菓子を故郷でも作りたいと思った。
青竹流しの水羊羹だ。

当時(私の知る限り)、群馬県では1軒も作っているお店はなかった。
「ウチのような町はずれの店で作ったところで売れるのか?」
不安がよぎった。
Blog引越の際に写真が消え、魅力が半減していました。
写真を追加し7年ぶりに再掲いたします。
平成7年(1995年)、修行を終えて故郷に帰ってきた。
そして夏。
一番夏らしい和菓子を故郷でも作りたいと思った。
青竹流しの水羊羹だ。

当時(私の知る限り)、群馬県では1軒も作っているお店はなかった。
「ウチのような町はずれの店で作ったところで売れるのか?」
不安がよぎった。

青竹の青さははかない。
3日もすれば黄色くくすんでくる。
だからこそ青竹は鮮度の象徴でもある。
毎日しっかり売り切らなければ、作ってもロスになってしまう。
美味しく作る自信はある。
問題は「売れる」かだ。
また青竹の1回の仕入れは400本。
400本を売り切ることができるのか。

高崎でもっとも尊敬している菓匠のIさん、その弟子で友人のOさんに相談した。
(写真は「高崎菓子倶楽部」という勉強会での1枚。1999年5月。みんな若い(笑))
「一緒に青竹水羊羹作りませんか」
そして400本の青竹を買って3人で分けた。
Iさん200本、私とOさんで100本づつ。
すべてはここから始まったんだ。

15年前、1シーズンで100本売るのが精一杯だった。
今では1ヶ月で1,000本以上買って頂けている。
盛夏の定番商品に育った。
群馬で、高崎で、青竹の水羊羹が当たり前に買えるようになった。
私たちは一つの文化を作った、と少しだけ誇りに思う。
どうせなら文化を作るような和菓子屋を目指したい。
3日もすれば黄色くくすんでくる。
だからこそ青竹は鮮度の象徴でもある。
毎日しっかり売り切らなければ、作ってもロスになってしまう。
美味しく作る自信はある。
問題は「売れる」かだ。
また青竹の1回の仕入れは400本。
400本を売り切ることができるのか。

高崎でもっとも尊敬している菓匠のIさん、その弟子で友人のOさんに相談した。
(写真は「高崎菓子倶楽部」という勉強会での1枚。1999年5月。みんな若い(笑))
「一緒に青竹水羊羹作りませんか」
そして400本の青竹を買って3人で分けた。
Iさん200本、私とOさんで100本づつ。
すべてはここから始まったんだ。

15年前、1シーズンで100本売るのが精一杯だった。
今では1ヶ月で1,000本以上買って頂けている。
盛夏の定番商品に育った。
群馬で、高崎で、青竹の水羊羹が当たり前に買えるようになった。
私たちは一つの文化を作った、と少しだけ誇りに思う。
どうせなら文化を作るような和菓子屋を目指したい。