拈華微笑
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微笑庵を「びしょうあん」ではなく「みしょうあん」と読むのは、
「拈華微笑」(ねんげみしょう)という禅宗の逸話に由来しているからです。
微笑庵ホームページの店名由来に逸話の解説があります。
「霊鷲山」で・・・
と文章は始まるのですが、
名付け親の大木紀元先生から、初めて聞いた時は驚きました。
拈華微笑という言葉は知らなかったのに、
「霊鷲山」には行ったことがあったのです!

椎名誠さんの本が大好きで、
初めての海外旅行にインドを選んだ19歳の春。

ちょうど「フォーリー」という春祭りの真っ最中で、
街で観光していると色水を浴び、
電車で移動中に、チャイ売りにチャイを浴びせられ、
バスで移動中に、聖牛さまのフンを浴びせられ、
予約した飛行機に乗れず、
2時間のフライトがタクシーで9時間もかかりました。
たった2週間のインド旅行は驚きの連続でした。
9時間のタクシーに同乗したのは、
当時インド料理の修業中で、
今ではマンダラ2ndオーナーの吉田さん夫妻。
趣味がサーフィンの吉田さんは、
サーフィンのために海外旅行に行くことが至福の楽しみでした。
「ところで宮澤くんの趣味は?」
「スキーです」
「もったいない!海外旅行はインドじゃなくて雪山でしょ‼」
その一言がきっかけで、
学生の身分を顧みず、憧れのスキーリゾートを目指すことになるのです。

スイス・ツェルマットにて。
親友のナベちゃんとカナダのスキーリゾートを滑りまくり、
バンクーバーで最後の夜。
ガイドブック推薦のお寿司屋さんへ。
回転寿司が今ほど一般的ではなかった当時、
鮨は高根の花の非日常的な食事でした。
その時の感動的な美味しさが忘れられず、
学生最後の1年は、
絶対に鮨屋でバイトをすると心に決めて学生課へ。
そこに、ちょうど濃紺の作務衣を着た旦那さんが求人票を貼っていました。

高崎を代表する鮨店「徳鮨」さん。
「啓ちゃん、和菓子やじゃなくてウチで修業すればいいのに。」
と言われる程、本当に可愛がって頂きました。
賄いが感動的に美味しくて、食べるのがもったいない程でした。
それから20年以上たったある日。
「この書はウチにあるより啓ちゃんのお店の方が相応しいと思うから」
と、旦那さんと奥様から頂戴したのが拈華微笑の書です。
群馬県書道協会会長も務めた小板橋東崖先生の揮毫。
徳鮨の高橋夫妻の仲人でもあり、大切な家宝でもあったと思います。
『拈華微笑』 ~以心伝心 心から心に伝わる~
みやざわ製菓時代、
お客様に私達の菓子作りに対する姿勢・技術・志が中々伝わらず、
悪戦苦闘している中で、大木先生から頂いた 経営理念。
その言葉を胸に精進を続ける中で、
20年以上前にお世話になり、
今でも我が子のように可愛がって頂いている恩師から頂いた書。
これは、私個人の宝というだけでなく、
「微笑庵」の理念に共感して集まってくれたすべてのスタッフの宝だと思います。
今も、これからも、この理念の世界観を菓子に託すような、
質の高い仕事と菓子で、故郷の皆様に貢献できるよう努力を続けて参ります。
引き続きのご愛顧をよろしくお願い致します。