ブルーノ・タウト賞
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ブルーノ・タウトの会(原浩一郎会長)は、第4回ブルーノ・タウト賞を少林山の廣瀬正史さん(55)に贈りました。
ブルーノ・タウト賞に関しては「ブルーノ・タウトの会」ホームページをご参照ください。
ブルーノ・タウト賞の創設
http://www.serere.jp/taut/taut-prize_1st.html
以下、廣瀬住職の受賞スピーチを一部紹介します。
現在の正史さんのお祖父さんが「大蟲」(だいちゅう)和尚。
ブルーノ・タウトを受け入れた時のご住職です。
この大蟲和尚がスゴイ人で、
現在の少林山の本堂、坐禅堂、洗心亭は、
すべて大蟲和尚の時代に建てられました。
しかし、墓地や檀家をもたない少林山。
その建立資金はどうやって集めたのかというと・・・
托鉢
ハンパな額の托鉢じゃありませんよ!
とてつもなく根性のある方だと想像がつきます。
その大蟲和尚が受け入れたドイツ人がブルーノ・タウトさん。
いまでこそ、その功績をたたえる方も多いですが、
当時(昭和9年)は得体のしれないガイジンですよ。
ナチスに追われて流れ流れて日本にやってきたタウトさん。
相棒は奥さんじゃなくて助手のエリカさん。
タウトさんの家族もドイツに置きっぱなし、
エリカさんとの間に出来た子供もドイツに置きっぱなし、
という常識では考えられない逃避行です。
井上房一郎さんからの依頼で「100日間」だけかくまって欲しい、
ということでしたが、タウトさんは2年3か月もの間、洗心亭で生活します。
来日時の歓迎会の写真 <少林山HPより>
その間、受け入れた大蟲和尚も大変だったでしょうし、
タウトさんとエリカさんも、言葉もろくに通じない異国で、
さぞかし孤独だったのではないかと想像してしまいます。
しかし!
昭和11年10月8日、トルコ大統領の熱烈な招きによって日本を離れる時、
少林山のスタッフや八幡村の人々が総出で、
「タウトさん万歳!」と見送ると、
「少林山バンザイ!」「八幡村バンザイ!」
と応えたといわれています。
2年3か月の滞在中、いかに信頼が深まったかが推察されます。
3年後、タウトさんはトルコで亡くなりますが、
そのデスマスクを少林山に納めてほしいと、エリカさんが来日するのです。
タウトさんの日記をはじめ、
来日時に撮影した写真や、工芸指導のさいに作った作品などは、
少林山の「タウト資料室」に保管、展示されています。
タウトさんが離日のおりに残した
「 ICH LIEBE DIE JAPANISCHE KULTUR 」
( 我 日本文化を愛す )
の石碑は県の史跡となっています。
正史住職は、難しい話をわかりやすく温かみを持ってお話しする名人です。
お話を伺って益々大好きになりました。
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