上州茶屋<あんころ餅・きなこ餅>

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上州茶屋
京から江戸へ皇女和宮も通った中仙道

木曾から信濃の険しい山間の道を抜け
碓氷の峠を下ると上州路は
ひねもすのどかな山のべの道

茶屋で喫する一服の茶と寒露な菓子は
行きかう旅人のなによりの楽しみ

往時を偲んで代々受け継いできた
名物餅菓子 『上州茶屋』

十勝小豆こしあんのまろやかな甘味と
皮むき黄な粉の香ばしさが
お餅の味を最高に引き立てています

桜餅にナゼ寺の名が? <長命寺>

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長命寺さくら餅
お江戸・向島の長命寺。

隅田川の堤にほど近いこの寺、
桜の季節は大層美しく、大勢の花見客を集めた。

和菓子店「山本屋」が、
この見事な桜の葉を塩漬けにして桜餅を考案し、
長命寺の門前にて発売したところ大評判になった。

享保2年(1717年)以来、およそ300年の歴史を持つ和菓子だ。

その売れっぷりは記録にも残っており、
文政7年(1824年)には、
この山本屋1軒で桜の葉を77万5千枚使ったという。
当時の錦絵にもよく描かれた。

あまりの評判を聞きつけた他の和菓子店も、
盛んに競い合って桜餅をつくるようになり、全国に広まった。 

関東仕立てのさくら餅は、
クレープのような焼き皮で餡を包むのが特徴。

もち米(道明寺粉)で作る関西仕立てのものとは、
見た目も由来も大きく異なります。

しかし、300年に渡って淘汰されず、
先人が工夫を重ねて磨き上げた最上のものが、
現在の「さくら餅」なのです。

さくら餅が美味しいのは、
季節の香りを運ぶ、歴史に磨かれた逸品だから。

しっかりと良いものを作り、
召し上がった人に喜んでいただくと共に、
次代に伝え、残さなければいけないと思っています。

※文中の「山本屋」は『長命寺桜もち』という屋号で現在でも大盛況です。
http://www.sakura-mochi.com/

江戸時代は桜葉2枚で包んだと記されていますが、
現在では3枚で包むのが同店の特徴です。

微笑庵では桜葉2枚でお包みしています。

※「道明寺」桜餅の由来については、以前このBlogで取り上げています。

さくら餅にナゼ寺の名前が? <道明寺>
http://misyouan.blog.jp/archives/11488004.html

【下記を参考にいたしました】
徳川吉宗と桜餅 (とらや様HPより)
https://www.toraya-group.co.jp/gallery/dat02/dat02_041.html

松の雪

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松の雪
柚子きんとん製


群馬の柚子の豊富さに驚いています。

たっぷりとすりおろした柚子をいれて炊き上げた柚子きんとんあん。

師匠直伝の大切な和菓子です。

誕生餅

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誕生餅
生まれて初めての誕生日。

この一歳の誕生日には「誕生餅」とか「力餅」と称される祝い餅があります。
ちょうどお米一升で作るため、「一升餅」とも言われます。

このお餅を赤ちゃんに背負わすのには2つの思いが込められています。

ひとつは、天の恵みの象徴であるお餅を背負わせることで、
将来食べ物に不自由しないように、食いっぱぐれのないように。

もうひとつは、あんまり早く親元を離れて遠くへ行かないように。
子供にいつまでもそばにいて欲しい、という親心から。

だから、赤ちゃんが背負えなくて泣いたり愚図ったりして良いのです。
背負えないことを楽しむ行事ですから。

一生に一度の初誕生祝いの行事ですから、
昔ながらの誕生餅でお祝いしましょう。
背負った姿を写真で撮って、
切り分けたお餅にその写真を添えれば、
最高のご報告として喜ばれると思います。

微笑庵の誕生餅は紅白五合づつ。
枡をふたつ使うことで、益々(枡・枡)健やかなご成長をお祈りいたします。

もりりん <和のシューロール>

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もりりん
微笑庵のつぶあんの美味しさを、

若い世代の方にも楽しんで頂きたくて、
修行から帰ってきて初めて作った、新作和菓子。

香ばしい胡桃をたっぷりと使った、
つぶあん巻きのシューロール。


森のお菓子
「森林」⇒「もりりん」というネーミング。

ローバーの後輩、小野森太郎くんとは関係ありません。(内輪ネタ)

高碕高校の思い出

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高々空手部時代
空手部の先鋒でした。一応黒帯のわたし。

高校時代、落ちこぼれていました。
憧れの高々ではあったものの、
勉強はついてゆけず、
部活も中途半端で、良い思い出はほとんどありません。

正直、失敗したとさえ思っていました。
自分はいてもいなくても、どっちでも良いような学生だった気がしていました。

それが、社会人になってから、
どれほど同窓の先輩や仲間に助けられたか知りません。

年に一回の同窓会も、
誘われて初めて参加した時は知り合いもほとんどいなくて、
居場所がなく、つらい時間でしかありませんでした。
今ではたくさんの会いたい人に会える貴重な機会です。

肩を組んで学歌を歌う、あの一体感。
行って良かったのか、悪かったのか。
時間とともに変わりつつある、高々の思い出でした。


さくら餅にナゼ寺の名前が? <道明寺>

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さくら餅
大阪府藤井寺市の「道明寺」。
菅原道真が自ら刻んだ十一面観音菩薩(国宝)を本尊とする真言宗の尼寺。

時の権力者藤原一族からその秀才・鬼才ぶりを妬まれ、
無実の罪で九州に左遷される事になった道真は、
道明寺に伯母・覚寿尼を訪ね、その無念さを詩で残しました。

以来毎日、覚寿尼は九州に向かってご飯をお供えしましたが、
そのおさがりを分け与えたところ、「病気が治る」など、
ご利益があると大評判になりました。

あまりに希望者が増えたので、
お米を蒸したものをあらかじめ天日で干して乾燥させたものが、
道明寺糒(ほしい)、現在の道明寺粉の由来です。

さくら餅にお寺の名前を関しているのは、
この道明寺糒に由来しています。

【以下を参考にしました】
蓮土山 道明寺ホームページ 

Rock-n-Roll All Night

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 【旅の思い出】
大親友ナベちゃんとのカナダ旅行最終日、
バンクーバーの安宿、Backpacker's Hostel。
妙にフレンドリーなカナダ人に誘われて、
ロックバンドがリクエストを演奏してくれるBarへ。

ロックなんてほとんど知らない俺だけど、
唯一知っていたのはKISSのRock-n-Roll All Night!

ローバーの濃ぃ~い相棒イサオに、
聞きたくもないのに何回も聞かされていたからだ。

イサオは年がら年中持ち前の濃さを炸裂させていたが、
学園祭の女装コンテストでバク宙に失敗し骨折!
ヤルことナスこと、インパクトの強い男だ。

学生時代の仲間は大のボーリング好きで、
ちょっと暇があるとすぐにパークレーンへ直行していた。
だまってボーリングやってればいいのに、
イサオはジュークボックスでKISSをリクエスト!
知らず知らずのうちに体に染み付いた。

バンクーバーの夜。
唯一知っているそのナンバーをリクエスト。
大盛り上がりに盛り上がったのは言うまでもない。

あれから15年、イサオよ、元気かぁ~!

賄の思い出

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徳鮨
『徳鮨』 高橋徳一さん


む~こさんの話題に便乗。

大学3年の春、大親友のナベちゃんと2週間、
カナダのバンフ・スキーリゾートで滑りに滑りまくった。

カナダ最後の夜、バンクーバーの鮨Barで快食、痛飲。
残りのカナダドルをすべて使い果たした。

学生時代はお金がなくて、鮨なんてまともに食べた事なかったけど、
カナダで食べた鮨のあまりの美味さに驚嘆。

大学4年の最後1年間は、絶対に鮨屋でバイトをしようと心に決めた。

学生課の求人コーナーに足を運んだ初日、
濃紺の作務衣を着た見るからに職人!のご主人が求人票を貼っている。

『徳鮨』

ビンゴ!!運命の出会いだ。
その場でその求人票を頂いて面接、採用頂いた。

徳鮨での1年間は本当に楽しかった。
当時バブルの余韻のある景気のよさで、宴会も出前もかなり忙しかった。

お楽しみの賄いは、宴会で食べ残したお刺身で、
「ちらし」か「太巻き」を作っていただいたが、これが絶品!
なんてったって、ネタは超一級品ばかり。

本当に美味しくて、美味しくて、毎日感動していた。

さらに、食べ盛りの私に冗談で作った「超大盛りちらし」
にぎりの器でちらしを作ってくださった。
これを私がペロリと食べたもんだから、ご主人も奥さんもビックリ。
その日以来、卒業するまで、私の賄いは超大盛りだった。

徳鮨の職人さんは腕に覚えのある方が勢揃いしていて、
ちらしは花模様だったり、ピエロの顔だったりして、
単なるバイトの賄いにはもったいない作品のようだった。

今でも大切な方と美味しい鮨が食べたいときは、迷わず徳鮨へ。
ご主人と奥さんは、なんだか父・母のような暖かさがあって、
私の大切な師匠のひとりです。

※あぁ~あ、また長くなってしまった。

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